2020年05月29日

コラム:9月入学に思う事


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久しぶりに、またもやコラムという名の雑記です。
気軽に読んでいただければ幸いです。
「9月入学」の件は一ヶ月くらい前に随分とニュースを賑わしていて、その後、静かになったと思っていたら、今週また色々とニュースが出ましたね。
ソフトウェア開発的な視点から思う事があったので書いてみたいと思います。

経緯の話がない


この件が最初にニュースで大きく取り上げられたのは、東京や大阪の知事さんを含め何人かの知事さん達の連名で政府へ要請するという内容だったと記憶しています。その後、有名な教員評論家や実業家など次々に賛成の表明が続いて、文科省も「一つの選択肢」的な発言だったので個人的には少し驚きました。

なぜかと言うと、賛成を表明していた方達の意見には、誰一人として「今までの経緯」について述べたものが無かったからです。正直言って、良くある目先の事情に思い付きでパッと飛びついたようにしか見えませんでした。

これは、我々だと誰もが一度は痛い思いをしている事だと思うのですが…
それは、他人のコードの修正をする時に、なぜそのようなコードになっているかが理解できないままに「こうすればいいはず」と直して酷い目に遭うというパターンです。
結局そのコードはパッと見で意味が理解できなかっただけで、当然意味があって、それを変えてしまった為に想像もしないバグが発生してしまったという訳です。
経験ありませんか?誰しも新人の頃に一度は経験する事のように思えますが。

ソフトウェア開発者はこの経験から、コードと言わず仕様と言わず、何かを変える時には、現状なぜそうなっているのかを把握して、その理由も含めて変えて良いかを判断するようになりますね。
これは9月入学に関して言えば
なぜ今まで4月入学だったのか
ということになります。
この点について経緯を把握して、理由を理解して、初めて判断ができるはずです。
仮に部下から、今までのコードについての説明が何もなく「こういうコードに変えます」とだけ言われても、私なら危な過ぎて承認できません。「変えたい」のは分かるけれど「変えて良い」のかが分かりませんから。

多分4月入学は明治の学校制度開始からでしょうから、少なくとも100年以上は続いているのでしょうし、過去にも秋入学の議論はあったわけですから、普通に考えたら相当検討されてきているはずです。そう言った検討内容を全て明らかにして、「この時とはこの部分が変化した」「だから結論が変わる」という説明がなされて初めて適切かどうか判断できるはずです。

それにもかかわらず、あんなにも多くの知事さん達がパッと賛成に飛びついたのは驚きました。
最初の段階で反対したのは千葉県の森田知事だけでしたね。正直言って、森田知事は元々俳優さんなので、いわゆるタレント議員的な印象があったのですが、「常識的な見解も大事」だと改めて気づかされました。
言うなればレビューでは多様な意見が重要だという事ですね。

もし仕様として考えてみると


以上でニュースを見て思った事は終わりなのですが、せっかくなので9月入学を仕様のように検討してみたいと思います。
まず9月入学の主な理由ですが、以下の2点のようです。
  • 休校による遅れを吸収できる
  • グローバルスタンダードになる
正直言って私には「裏に何か隠された意図があるのか?」と勘繰りたくなるくらい、説得力に欠ける理由にしか思えないのですが、何か見落としているのでしょうか…

まず最初の「休校による遅れを吸収できる」という理由ですが、それでは今後疫病が流行る度に入学月をずらすのでしょうか?
例えば、今回は春に流行りました → 秋にずらします → 来年の夏にまた流行りました → 冬にずらします?
正直意味が分かりません。
今まででもSARSだMERSだと危なかった時はあるわけですし、今後も人類は疫病とは何回も闘う事になると考えるのが妥当です。従って「疫病に対する施策」として「入学月をずらす」という考え方にすると、良くある「将来に禍根を残す仕様」という事になります。これがソフトウェアの仕様ならば私は決して選択しません。(良く知りませんが100年前のスペイン風邪の時はずれたのでしょうか?)

二番目の「グローバルスタンダード」はもっと分からないです。
それが必要な人間がどれ程いるのでしょうか?小学生やら中学生やら猫も杓子も軒並み留学させようという事でしょうか?
逆にもし9月入学になったら、幼稚園から小学校、中学、高校、大学、専門学校、学習塾、教材関係出版、教育サービス等々、ありとあらゆる教育に関わる事が全て変更になります。そしてもちろん企業の採用も9月になり、給与も資格も9月にアップする事になり、すなわち企業の年度も9月開始にずれる事になります。日本の全ての企業がです。
「グローバルスタンダード」にそれだけの価値があるのでしょうか。しかも「グローバルスタンダード」というのは主に「欧米先進国」の事に過ぎません。決して「世界」ではありません。
明治の初めに「西洋に倣え!」と言って、政治家達が「漢字廃止」だとか「英語を公用語に」と騒いだ歴史を思い出さずにはいられません。

ここまでで既に全否定なのですが、実は個人的には次の項目がより重要に思えています。

心の側面


情操教育という概念があるように、教育において、情緒や感性など豊かな心を育む事は非常に重要な要素だと考えられています。そういった観点で入学月の事を考えてみると、やはり季節感に思い至ります。
言うまでもなく、春は段々と暖かくなり、動物たちが目を覚まし、草木が芽吹く、新たな始まりの季節です。特に三月から四月にかけては桜が咲き誇り、舞い散る時期でもあるので、多くの物語や音楽で卒業、入学のシンボルとして登場します。また卒業も入学も俳句の春の季語だったりします。
それに対して秋は段々と日が短くなり寒さが増して行き、動植物は冬への準備を始めます。九月の特徴は残暑が厳しい日があり、また秋の長雨と台風の時期でもあります。桜に相当するものは思い浮かびませんが、花で言えばコスモスとか彼岸花でしょうか。

日本人ならば春が新たなスタートという感覚は自然なものですが、注意が必要なのは、他の国の人々はそこまでそういった感覚は強くないかもしれないという事です。そもそも地球上で四季がある地域は限られていますし、その中でも日本ほど季節がはっきりとして、人々の暮らしにも深く根差している国は珍しいと思われます。
ヨーロッパでジューンブライドが良いからと言って、日本では六月は梅雨ですから、国によって全然事情が違うわけです。(誰がこの言葉を輸入したのか想像できるというものです)

近年は日本の自然や伝統、文化は世界的にも人気があり、海外から大勢の観光客が訪れるようになりました。そういう直接的な利益の視点で見ても、こういう情緒や感性などの心の側面は蔑ろにはできないですね。

対応は?


既存案を否定しただけでは「仕様を決める」事にはならないので、一応、休校による遅れについて対応案も考えてみます。
我々の場合で考えたら、ある機能がどうやってもリリースに間に合わないとなったら、調整をかけて次のバージョンにまわしませんか?全部が駄目だったらリリース自体をずらす以外にありませんが…
ですから普通に考えれば、まずはなんとか遅れを取り戻すべく休日出勤(夏休み等を授業にあてる)で頑張ってもらうとして、それでもだめなら、後は次バージョン(次年)以降にまたがって遅れを少しずつ取り戻す感じではないでしょうか。
中学三年生などの最終学年の場合は、その次の受け入れ先で考慮するしかないでしょうね。例えば高校進学ならば入学試験の対象範囲は減らすとかですね。
もちろん卒業後は就職というパターンもあるでしょうし、そもそも地域間でばらつきが発生しているのをどう吸収するか等、課題は沢山あると思います。
それでも「リリースを遅らせる」のに比べればよっぽど良いように思えます。

◇ ◆ ◇

いざ書き始めてみたら随分長くなってしまいましたが、最も気になった点は「教育の事なのに教育的視点が抜けている」ように感じた事です。
以前書いた記事(なぜ教育が必要なのか)の中で「教育というのは農業に似ている」と書きました。まさしく種を植えて育てて大きな果実を期待するものです。今、目の前にぶら下がっている果実を採る算段ではありません。
ですから単純な損得だけではなく人格形成の視点も重要だと感じます。
私には、日本らしい、日本人特有のものを持っている人間の方が、グローバルな世界で活躍できる人材になるように思えてなりません。

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posted by 善 at 19:39 | Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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