2019年05月31日

コラム:新元号に思う事


今回はコラムというとちょっとおこがましいのですが雑談的な感じで気軽に読んでいただけたらと思います。
今月、新たな元号「令和」になりましたね。
平成から令和に変わる時はなんだか新年を迎えたみたいで不思議な感じでした。
中国の知り合いからお祝いのメールが届いたりして「中国が本家なのに…」と、なんだか奇妙な気分でした。
中国人達は自国では廃れてしまった天皇とか元号とかに結構興味があるみたいです。

新しい元号に切り替わって世の中は結構お祭り騒ぎでしたが、ソフトウェアを開発している人々にとっては元号なんて単にやっかいな代物にしか思えないかもしれません。実際、自分も若かりし頃は「元号なんてとっとと無くなればいいのに!」と思っていました。
今でも作る側としては面倒くさい代物だと思っている事には変わりませんが、使う側としては結構意味のあるものに思えてきてます。元号という存在はとっても日本人らしいと思えています。

ちょっと話が飛びますが、長年ソフトウェアを開発してきて多くの人と様々な議論を交わしてきましたが、どうも日本人というのは「統一する」という事が少し苦手なんじゃないかという気がしています。
統一というのは原理とか抽象化とか一元化みたいな考えと結びつくものです。
このブログでも「仕様とはルール」で仕様をルールによって統一的に考える事が大事だと主張したり、「なぜ汎用的にする必要があるのか」で設計は抽象的に考えて汎用性を持たせる事が重要だと訴えたりしましたが、ソフトウェア開発においては、個別にバラバラにするのではなく一つに集約するという事は根本的に重要な意味を持っています。
しかし、今までの経験からするとそういった発想はあまり「好まれない」という印象があります。

では、統一的に出来ないと絶対的に悪い事なのかというと必ずしもそうでもないとも思っています。もし日本人が統一的に考える事が苦手だとすれば、その裏返しとして、個別でバラバラである事、つまり「多様でいる事」が得意なのではないかと思えています。

その例がまさしく元号です。
一つの方式で汎用的に使える暦としては西暦などの紀元による数え方が優れていると思いますが、より身近に時代の空気を捉えやすいという点では元号に分がある様に思えます。もし元号が無かったら「昭和歌謡」とか「大正ロマン」なんて言い方も生まれなかった事でしょう。ですから少なくとも両者には別々の特性があり、それをそのまま尊重して両方残している事が「多様」だという事です。

その様な目で見ると実は日本はそういう事が沢山あるように思えます。
例えば文字の書く方向なんかもそうです。
世界では横書きが主流で、縦書きの本家である中国でも今はもはや横書きが主流のようですが、日本では縦書きがあるのみならず、横書きもあって、ごく普通に混在して書かれたりもしますね。

個人的には料理なんかにも多様さを凄く感じます。
東京を含め世界の大都市ならば色々な国の料理店があると思いますが、家庭料理の様なレベルでこれだけバラエティーに富んでいる国は珍しいのではないでしょうか。カレーはインド、ラーメンは中国、スパゲッティならイタリア等々。いずれも家庭で普通に食べられていると思いますが、冷静に考えると中々凄い事のような気がします。そして勿論、魚や蕎麦などの伝統的な和食が消えてなくなった訳でもありません。

元号は「大化」から始まりましたが、その頃の時代に聖徳太子が「和を以て貴しとなす」としたように、一人の意見にみな従わせてしまうというよりは、みんなを尊重するやり方の方が日本人には合ってるのかもしれません。統一的な発想は重要な事ですが、何かもっと日本人らしい、個別的で多様性を活かせるアプローチの開発の仕方はできないものだろうかと、そんな事を新元号を迎えて思いました。

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posted by 善 at 20:18 | Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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