2016年09月11日

一体それは誰の問題なのか


今回は組織における責任や問題の所在についての話しです。

ある例


日本では何か問題が起きても責任を取らない、曖昧にするという事が良く言われます。東京オリンピックの国立競技場の騒動も記憶に新しいですが、あれなんかも最終的には大臣を更迭してお茶を濁しただけの様に見えました。大臣が建設費用に関するスペシャリストのはずは無いですから、もっと実務レベルで責任を負うべき人間がいるはずなのではないかと思えました。そういった日本人の特性(?)にまで繋がるのかは分かりませんが、組織において責任とか問題の所在についてもう少し良く考える必要があるのではないかと思う場面に良く遭遇します。

一つの例としてこういう事がありました。
ある組織のマネージャーが険しい顔をして強い口調で配下の各グループのリーダー一人一人にある事を厳命して回っていました。それは定時後にたまたま社員食堂に行ったら、食事を終えた自分のところの人間の何人かが休み時間が終了しているにもかかわらずおしゃべりをしていたというものでした。それで各リーダーに部下をちゃんと指導をしろと言って回っていたのでした。この話しの限りでは単に就業規則を破って休み時間終了後にもまだ休憩していた人間達が問題だったというだけですね。確かにマネージャーが怒るのはごもっともという事になります。

問題の所在


上に述べた事は事実に相違ないのですが補足として少し事情を説明したいと思います。このマネージャーの配下のグループはどのグループのどのメンバーも全員長年にわたり長時間労働を続けていました。その為業績が落ちて来ていた組織から経費削減の一環として残業の削減を厳しく求められていました。そうして残業のやりくりに汲々としていたところにのほほんと休憩している姿を目撃して怒り心頭に達したという訳です。

これを聞いて皆さんがどう判断したかは分かりませんが、自分自身は次の様に考えています。
ルール(就業規則)を破った事についての責任はあるとは思いますが、それ以上にマネージャーの責任の方が大きいように思えます。所謂監督責任という事でしょうか。責任の所在を厳密に考え出すと少し難しいところがあるような気がしているのですが、少なくとも問題の所在ならばマネージャーにあるのだと思います。

何故なら問題の根本的な原因は漬物石の様に上から重し(長年の長時間労働)を載せてしまったので耐え切れずに桶(ルール)が少し破損してはみ出てしまった(休憩時間オーバー)という事なので、はみ出た事が問題なのではなくて重しを載せている事が問題だからです。なのにこのマネージャーの対策ははみ出ない様に抑え込もうとしているので、そんな事をすれば今度はどんな大きな破裂が起きてしまうか分かりません。そういった点からもはみ出たところを抑え込む様な対策が良いとは思えません。

別の例


実は気付きにくいのですがこういった誰に問題があるのかを誤解している例は非常に多くて、しかもそれ故に成果に結びつかないという重大な問題を含んでいます。例えばこういう例がありました。
品質保証を担当する組織で長年リーダーを務めていた人がある時溜息まじりにこう漏らしました。
「みんな意識が低い」
長い間品質を保証する為の様々な事を定めて開発組織に対して運用を指導してきたものの、中々うまく運用されず結果として思う様に成果が上がっていない状態でした。その様な状態の中とうとうある時この様な心境に至ってしまったという訳です。

先程の例と同じように表面的には定めた事を守らない開発組織の人間に問題があるのですが、やはりこれはそもそも定めた内容が運用するには無理があったという事に他なりません。開発組織の実情を良く勘案せずにルール等を定めたという事なのだと思われます。

所在の判断方法


ここまで説明した例では事情を説明したので問題の所在は少し理解しやすくなっていたかと思います。組織の中ではこういった事例は幾らでもありますがその全てにおいて事情を詳細に理解していないと問題の所在を判断できないのでは困ります。そこで自分自身としては主に以下の様に判断しています。
守れない人間の多いところ
どういう意味かと言うと例えば一般的な組織の構造として、部ー課とあったとします。この時「部」で何かを決めて運用を始めたとします。その時にもし「部」で守れなかったのが一人とか二人ならばおそらくその個人に問題があるのでしょう。そうではなくもしある「課」に守れない人間が多く集中しているのならその「課」に問題があるのでしょう。そしてもし「部」全体に万遍なく守れない人間が存在するとすればそれは定めた内容に問題があるという事になります。
先程の品質保証の例を見てください。守れなかったのは「みんな」なのです。つまり今の例で言う「部全体」です。この時点でもう定めた内容や運用方法側に問題があると考えられるのです。

責任に関しては厳密に考え出すと難しい話しがありそうな気がしていますが、少なくとも自分で宣言したものが守れなかったらそこに責任があると考えても良さそうです。ただし責任がある場合でも問題の所在は別の所の可能性があります。

心構え


問題の所在を誤解している例に遭遇するといつも江戸時代の年貢の取り立てを思い出します。不作で米があまり収穫できずに農民がお願いだから自分達の食べる分だけは許してくれと訴えるものの、代官が「お上の決めた事に逆らう気か!」と言って無情にも規則通り年貢を取り立てて行く姿です。これが歴史的事実かどうかは分かりませんがこういったイメージと重なります。権力のある側は一方的に「やらせる」事を考えがちです。しかしそれでは問題の本質を見誤りかねないので、あくまで「やってもらう」為にはどうしたら良いのかというまさしく「サービス精神」が必要だと思われます。

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posted by 善 at 21:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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